平成31年邦空館新春対談

平成31年邦空館新春対談

201924

(邦空館顧問)中田宏、(師範)小林邦雄、(代表理事)松末和樹

 

 

 

松末 本日は邦空館新春対談のためにお忙しい中時間を割いていただきありがとうございます。お互い旧知の仲ですので、ざっくばらんに空手の夢を語り合えれば幸いです。

昨年は9月の邦空杯に中田さんがお越しいただき、12月の納会・クリスマス会ではご挨拶いただきありがとうございました。道場の皆さんからは『中田さんからメッセージをいただけるような邦空館ってすごい』と感動の声をたくさんいただきました。おかげ様で会員拡大につながっています。本当にありがとうございます。

 

中田 私は空手道をやってきた経験者として、『空手の大切さ』をもっともっと広げていきたい、その事に協力したい、という思いから、子供達と話すときはなるべく子供目線に立ち、空手選手になる目標についての話だけではなく、空手道を続けて本当に良かった事や空手が人生にとても役立っている事など自身の経験を通して思う事を、なるべくわかりやすく伝えるように心掛けています。

 

小林 今、邦空館の会員数が増え、渋谷、長津田、柿生に3つの道場があります。それぞれの道場では各指導員が一生懸命、『武道としての空手』を指導してくれています。会員の皆様の昇級・昇段審査合格、それから小さい子供から年齢を重ねた熟練者の皆様が少年大会や全国大会への出場を目指し、少しでも会員の皆様が活躍出来るように指導員は取り組んでいます。また、毎年人数が増えてきている合宿や邦空館の道場生だけの大会も今年は開催されますので、例年以上に多くの会員様に参加してもらえるのではないか、と期待しております。

 

 

 

オリンピック競技としての空手

 

 

松末 当館には幼稚園児から60代の方々まで、幅広い年代の会員様がいて、汗をかきながら一生懸命に稽古をされています。また、2020年オリンピック種目になったことで空手が注目されています。オリンピック出場を目指して頑張る生徒さんもいらっしゃいます。オリンピック種目としての空手をどう思いますか。

 

中田 私は空手が『メジャーであり、ポピュラーな競技であるか』という観点からすれば、オリンピック種目になった事は、より多くの人に認知されるスポーツ競技になったと思いますので、大変喜ばしい事だと思います。しかし、空手に限らずスポーツは国際的になればなるほど、色々な意味でルールが変わってきた事実も私は見てきました。オリンピック競技になったとなれば尚更で、オリンピック競技として引き続き東京大会以降も残るのかどうか、また残るにしても、空手を初めて見る人にとって、なるべく分かり易くする為には、どのようなルールがいいのかを話し合う必要が出てくると思います。そうしたことは、武道としての空手道の大切なものと必ずしも一致しない面があるはずです。その点は心配をしています。

 

小林 私もスポーツ競技として空手がメジャーになることは非常に喜ばしいことだと思います。『空手をオリンピック競技にしたい。』というのは、空手をやって来た人たちの夢であり、その気持ちが世界に届いたのだと思います。しかしその一方で、決して間違っていると言うつもりはないですが、私たちは、心身ともに強くなるために空手道や武道を学ぶという考え方を強く持って空手を始めた事実もあります。ここ何十年かで空手道は随分と変わりました。空手道の普及と共に考え方も多様になりました。若い人たちの中には空手道がオリンピック競技として有名になり、選手としてオリンピックに出場する事のみを目指す人もいます。しかし空手道は武道であり、日本の伝統文化です。この原点がブレないようにすることが最も大事であると私は考えています。オリンピック競技としての空手は基本的に競技の部分しか見ることができません。オリンピック競技としての空手は空手道の全てではないともいえます。空手道の修業は生涯に亘り携わっていく道ですから指導者も空手道の本質を学び、会員の皆さんをその道に導くようにしていかなければならないと思います。しかしながらその修行の過程において勝敗にこだわることも必要です。

 

空手をはじめるきっかけ

 

松末 そのような環境の中でオリンピックがきっかけとなり空手に興味を持ち道場に足を運ぶ子供たちがこれからますます増えていくと思います。そもそも中田さんはどういうきっかけで空手を始められましたか?

 

中田 私が空手を始めたのは町の道場でした。中学から高校に進学する時に『空手をやってみたいな』と思い、町にあった道場に通いました。その後、私は高校で空手道部にも入り本格的に始めました。だからそこにある町の道場は地域における空手の入り口だと思います。中学生までは、プロ野球中継を毎日見て影響を受け「野球選手になりたい」と思って少年野球にも入りました。しかし当時は空手の試合がテレビで放映されることはほとんどありませんでした。学校の帰り道、町の道場から活気のある気合いの声が聞こえ、黄色や青の帯を締めて家まで帰る子供の姿を見て空手道場があることを知り、そこで門をくぐりました。従って空手の「入り口」としての道場の役割はものすごく大きいと思います。野球やアイススケート、スキーといった特別な施設や道具が必要な競技と違い、一定のスペースさえあればすぐに出来るところが「空手」の良さであると思います。

 

松末 小林先生は邦空館の道場で指導していただいているのと同時に、頻繁に海外にも教えに行かれていますよね。海外ではどうでしょうか?

 

 

小林 私たちの大先輩が海外に進出したくさん道場を開いていただいているため、空手はすでに海外で認知されています。先程、中田先生はテレビで空手を見ることがないとおっしゃっていましたが、意外と空手の動きやテクニックが海外でも色々な場面で溢れています。例えばブルースリーやジャッキーチェンです。彼らを始め映画の随所で空手を使ったアクションが多く見られます。そのアクションに憧れて『あんな事ができるようになってみたい』と感じて空手を始める人も海外では多いようです。

 

中田 確かにそうですね。

 

 

 

『空手道』とは

 

 

中田 ところで、小林先生の話を聞いていて『空手』と『空手道』という言葉の使い分けを改めて考えました。私は競技として捉えた時は『空手』と言っています。一方で人生において、自分自身が取り組んだものとしては『空手道』という言い方をします。だから先ほど小林先生が「空手道を通し『自分の道を生きる』ということを学ぶ」とおっしゃっていたのはすごく合点がいきました。

競技としてだけならば引退、すなわち辞めるタイミングがあります。しかし『空手道』というのは長い人生の中で一つの道を極めていくことだと私は考えております。小林先生の考え方は非常に理解できます。道場訓もその一つの『道』へ導くための教えですよね。

 

小林 日本空手協会には「五条訓」がありますが、それを完全に達成するのは非常に困難であり達成できている人がいないです。しかし空手道の鍛錬・試練を乗り越えてそこにいかに自分が近づいていくか、その過程が道なのだと私は思います。私は『空手道』は柔道・剣道から生まれた言葉であり、『空手』は沖縄から来た空手術であると考えております。

 

中田 空手術とは元々護身術のことですね。

 

小林 そうですね。「術」という技があって進むべき「道」がある。私はこのような意味で『空手』と『空手道』はお互いが大事だと思います。

 

中田 柔道は柔術、剣道は剣術であり、そこに道が入ったのですね。

 

小林 その通りだと思います。

 

中田 野球は野球としか言いませんが、生きる上で野球から大きな教訓を得ている人たちは、期せずして「野球道を突き詰めてきた」と使っていますよね。

 

小林 これは日本人的な考え方であって、アメリカでは野球は楽しむものであり、上手い人がプロになる。海外の人はそういう感覚です。おそらく『道』として追求はしていないと思います。武道から自分自身の生き方を考えるという発想は日本人独自の考え方ではないでしょうか。

 

中田 日本人独自の考え方と言えば、空手道と同じで『道』がつくものに華道や茶道があります。私は茶道を嗜みますが、茶道にも様々な流派があります。そしてそれぞれ微妙に流儀が違います。茶道にはどちらが優れているのかを大会で決めることはありません。それぞれが極めている道であり、そこに優劣はありません。空手道も色々な流派があり、それは道である以上自然な話です。よってそれぞれのルールを完全に統一して競技することが近代的であるという考え方には少々違和感を覚えます。

 

松末 私は、「術」から始まり、それを自分の生き方や生活の中で活かしていこうとするならば「道」になっていくのだろうと思います。今の小学生などは言葉遣いを知らず、先生に対しても友達のように話しかける子供が多いです。しかし、空手を教わるうちに言葉遣いも覚えてくる。それはやはり術を教えるだけでなく、空手を通して生活の中での礼儀を教えています。そういうことが道に少し近づいている気がします。

 

小林 私も『術を通して道を教える。』これは教育の1つであると思います。日本の伝統文化には礼儀や節度があり、またそれらが結びつき文化ができている。私もこういうことを道場で空手を通して教えていきたいと思います。

 

中田 そうなると、たまたま門をくぐる道場がどんな道場かというのも大きな分かれ目ですね。単純に技を教える道場と道を極めるということも含めた空手道を教える道場では、その後の空手を続けていく意味合いが大きく違うと思います。その点、道を極めるということも含めた空手道を教える邦空館は幸せな場所だと思って携わらせていただいています。

 

小林 ありがとうございます。指導する時には、それぞれ目的が違うため目的に合わせて丁寧に教える事を心がけております。これからも技術向上を大切にしながらも、心のふれあいを大切にし、さらに邦空館を盛り上げていきたいと思います。

 

中田 先日、邦空館の納会に行かせていただきました。その時、先生方に対して子どもたちが感謝の言葉を言っていたことが印象的でした。子どもたちが自分の言葉で素直に感謝の気持ちを伝えている場面は非常に感慨深かったです。おそらく彼らにとっては日々の稽古は決して楽しいだけではないと思います。その中であのような言葉が出てくるということは、人の成長にとって邦空館は非常に重要な場所だと感じました。

 

小林 嬉しいですね。一年の最後に締めくくりの納会をして、子どもも大人も一緒になって労をねぎらう。『人はなぜ大変なことをやるのか』、それは『ねぎらうため』に私はやるのだと思います。邦空館では去年から三道場合同での納会を始めました。多くの人が集まってくれたので、大人も子供も一年間の苦労を一緒にねぎらいたいのだと強く感じました。

 

中田 おそらく大人はもちろん子どもも、指導が理不尽な厳しさであれば感謝にはならないはずです。下手をすれば大人に対する反感を持つかもしれません。しかし邦空館で今までつけてもらった稽古に対して、理屈ではなく、自分のためになったのだと感じているからこそ、子供たちから感謝の気持ちが溢れているのだと思います。

 

小林 しっかりと胸に留めます。今年も精一杯指導していきたいと思います。

 

 

 

 

これからの空手について

 

 

中田 これからの時代を考えると今こそ武道が必要だと思います。それは礼儀やけじめ、長幼の序といったことを自然の中で体得していくことができるからです。これを体得しているかは、その人が大人になったときに社会における立ち位置が大いに変わってくると思います。自らに課せられた責任や役割について進んで引き受け、その責任を全うする。人としての生き方に繋がってくると思います。そういう意味でも私は大いに空手道の普及に尽力したいと考えます。オリンピック競技となり身近になる『空手道』の精神・文化を伝えることができれば空手の重要性はより大きくなっていくはずです。

 

小林 おっしゃるとおりです。今の世の中で大切なことであると思います。時代が進化していく中で、手足や五感で感じずに脳だけで処理するようになってきていると感じます。例えば映画やゲームでは人を戦わせて、自分がまるでできるような気持ちになってしまう。しかし、実際にゲーム内のようなアクションを起こせば手や足に痛みを感じる。人と実際に触れ合うからコミュニケーションに行き着くのではないかと思います。そういう意味において、空手をたくさんの人にまず感じていただきたいと私は思っています。

 

中田 映画やドラマで壮絶な殴り合いのシーンがありますが、あれは空手をやっていた人ならば、こんなことありえないとわかります。しかしそういうことを知らないままの人は多いです。よく暴行容疑で捕まったというニュースがありますが、その中に空手の関係者がどれだけいるのかと言ったらほとんどいません。小林先生も経験があると思いますが「空手やっていました」というと「怖い」と言われます。しかし、私は逆だと思います。空手経験者ならまず人に手を出すなどあり得ないと思います。何故ならば痛みを分かっているからですが、小林先生はどう思いますか。

 

小林 そうですね。私も過去に言われたことがあります。痛さを知ると痛い思いをしたくなくなる。やはり、鍛錬して技を練ってやっていくうちに、使い方を考えていく。これこそが空手道なのです。そしてそれは人の心を想う気持ちにも繋がっていくと私は思います。

空手道は『心を育てる』のだとと思います。

 

松末 心を育てる空手をこれからも普及させていきたいと思います。

 

中田 私もお役に立てるように頑張ります。

 

小林 お忙しいと思いますが、中田先生もまた空手を始めてみませんか。

 

中田 ありがとうございます。またやってみたくなりました。

 

松末 次回はぜひ道着を着て稽古風景を取材させていただきたいと思います。本日は素晴らしい対談ありがとうございました。